履行の着手

わが国の売買契約等では、解約手付が交付されることが多い。解約手付とは、手付の放棄

(または手付の倍額の償還)によって、任意に契約を解除することができるという手付の

ことである(民法第557条第1項)。



具体的には、売買契約成立時に買主が売主に解約手付を交付する。買主は手付を放棄すれ

ばいつでも契約を解除でき、手付相当額以外の損害賠償を支払わなくてよい(これを「手

付流し」という)。


また売主も、手付の倍額を買主に償還することで、いつでも契約を解除でき、手付相当額

以外の損害賠償を支払わなくてよい(これは「手付倍返し」という)。

このように、手付相当額の出費を負担するだけで、いつでも売買契約関係から離脱できる

のである。

しかし、このような手付流し・手付倍返しによる契約解除はいつまでも可能なのではな

く、契約の相手方が「履行の着手」を行なった時点からはこのような契約解除ができなく

なるとされている(民法第557条第1項)。そのため、この「履行の着手」が重要な意味を

持つことになる。



過去の判例では、「履行の着手」とは「客観的に外部から認識できるような形で、契約の

履行行為の一部をなしたこと、または履行の提供をするために欠くことのできない前提行

為をしたこと」と解釈されている(最高裁判決昭和40年11月24日)。

具体的にいえば、単に物を引き渡すための「準備」や、代金を支払うための「準備」をし

ただけでは「履行の着手」には該当しないと考えられている。


実際に履行の着手があったと判断された事例には、「他人物売買において、売主が他人の

不動産を取得して登記を得たこと」、「買主が代金の用意をして、売主に物の引渡しをす

るように催告したこと」などがある。



なお、手付流し・手付倍返しによる契約解除は、契約の「相手方」が履行の着手を行なっ

た時点からは契約解除ができなくなる。従って「自分が履行の着手をしたが、相手方は履

行の着手をしていない」状態であれば、自分から手付流し・手付倍返しによる契約解除を

行なうことは可能である。